高谷宗範傳19 茶道は分限を本位とす

同じく宗範昭和五年の講演から。

茶道は其人の分限に安んじ足るを知るを以て處世の標準と為す、故に驕奢は固より之を禁じ吝嗇も亦之を戒む、貴賎貧富各其身分に應じ生活交際の中正を守らしむ是れ茶道の主眼なり、
(略)
茶道は其人の身分を本位とす、故に富貴の人は其身分相應の器物を以て書院荘厳の茶會を為し、貧賎の人は亦其身分相應の道具を以て草庵簡略の茶會を為すを正則と為す、
然るに今の茶人は貴賎貧富を問はず茶會は總て草庵に於てのみ之を開き名物濫用の弊名状すべからず、

まぁ全般的にこの調子で、茶道を礼と上下関係の中に再定義するのが宗範の考え方である。


宗範の理想は、理想としてはすばらしい。


金持ちが素晴らしい道具の茶を。貧乏人が心こもった茶を。
自分の分限を理解して、それぞれの範囲内でできるすべてで互いをおもてなしする。


だが、世の中理想通りには行かない。

貧乏人の貧相な茶会に金持ちは行かないし、金持ちの茶会に貧乏人は招かれない。


箒庵にはそれが判っていたのだろう。

どうせ同じ階層の中でしか茶が成立しないなら、面倒なゴタクはまっぴら。そんな感じだったんではあるまいか。