高谷宗範傳18 茶道経国

宗範昭和五年の講演から。

謹んで惟るに日本は神の國なり、
我等臣民は神の子孫なり、
故に神の道を行ふことは我等國民の義務なり、
神とは即ち、天皇陛下なり、
神道は即ち皇道なり、
然れば歴代列聖の詔勅は即ち惟神の道なり、
殊に教育勅語を以て國民の遵守すべき道を明示せられたり、
之を遵守し奉行して先づ我精神を振作し、我思想を涵養し進んで人情を善導し
風俗を醇化し以て皇室を翊載し奉る是我茶道の精神なり。
余が茶道の精神を、前述の如く解釋を下したる原因は明治元年三月に發布されたる五ヶ條の御誓文第四に「舊ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クベシ」とある聖旨を遵奉し、茶道舊來の陋習を破り天地の公道たる神の道に基き、之を我茶道の精神と為したる所以なり。

現代の左翼の人には読ませらんない感じの文章である。

これに反発したのが富裕層の箒庵、というのも歴史の面白さである。


さて、宗範は全体主義的な茶の湯を目指したのだろうか?
いや、否である。

彼は身分相応な茶の湯を目指していた。
貴人には貴人の、富豪には富豪の、侘びには侘びの茶の湯を広めたかっただけなのだ。

その実現の権威付けの為、天皇を持ち出した。

その結果日本の、天皇からトップダウンする身分制を強調する結果になってしまった。
手段の為に本意が見えなくなったと批判されてもしかたないだろうけれど。


宗範は軍国主義的な茶の湯を目指したのだろうか?
まったく否である。

文化力の勝利、みたいな発想はあったかも知れないが、礼節があれば争いはないのである。
だが、表面的な形式は、全体主義軍国主義のそれと大差無い。


宗範は昭和8年には死去。その後の日本を見ていない。


もし彼が終戦まで生きていたら、何を発言しただろう、あるいは彼の発言はどう利用されただろう。

興味は尽きない。