講座日本茶の湯全史10 利休の茶の湯

谷澤昭夫著。

これら利休の茶会における茶道具の変化を時期を追って簡単にみていくことする。

ということで茶会記から見る利休の茶。

茶会記から知られる利休(宗易)の初茶会は天文一三年(一五四四)二月二十七日に堺で行った奈良の恵順と松屋久政の二人を招いた会である。
(略)
さらにこの会では二三歳であった利休を「宗易」としているのも注目される。

後年の記入じゃないかなー。そもそもこの「宗易」記述が有効なら、天文六年の「京 輿四郎 宗易事也」も有効なんじゃねーの?

まぁ要約すると、唐物万歳茶会をやっていた利休だが、天正10年以降、大徳寺の墨蹟を使ったりした。あと他の人の茶会記にも宗易形茶碗や折撓茶杓阿弥陀堂釜、吸茶、竹花入が出てくる…。

うん、知ってた。

ただ、それを利休の茶と呼んでいいか私には疑問もある。

松屋会記読む限り、奈良への吸茶の普及は、羽柴秀長の下で山上宗二が実施している。
これは利休の茶というより、秀吉の茶じゃないだろうか?