茶と禅6 禅語

本書では、禅語を次の様に紹介している。

これは雲門の関といって、『碧厳録』第八則、『従容経』第七十一則、『槐安国語』第二十五則に出ている。
実に公案のなかでも、最後の牢関で、大徳寺の開山大燈国師も、妙心寺の開山無相大師も、最後に苦しまれた難関の公案である。
(略)

禅の人が書いただけある感じがする。

しかし、部分的にトーンダウンする事もある。

松風

茶室に入ると、釜の湯が、かの松風のごとき音を立てて耳に達する。まことに仙境に坐するがごとき気分になる。
(略)

和敬清寂

この和敬清寂の四字を、茶道の本体として、物に処していけというので、和、敬、清、寂の一字一字に深い意味があるから、この一字ずつを掛物にしてもよい。
(略)

禅語でないものを無理して禅語にふくめたので、非常にぬるまったくなってしまった。

こーゆーのは禅の側からのおもねりであって、禅坊主ならこーゆーのを禅語に入れないで欲しいのだが…
もしかするとこういう一行書を所望されて書いちゃったので、ひっこみがつかなくなってたりするのかもしれない。