淡交増刊 寛永文化と茶の湯2 寛永の茶の湯
矢部誠一郎著。
「寛永文化」は「桃山の残り火」文化なのだろうか。
(略)
次代に繋がる、いわゆる「大名茶」が、「利休茶」の「残照」とは、わたしには考えられないのである。
と、昨日の話をひっくりかえす様な書き出しである。
古田織部・小堀遠州・片桐石州による大名茶の成立について大略を述べてきた。
寛永の茶の枢軸は、やはり、こうした幕府の支配力の下に次第に自由を失い、その権力に迎合せざるを得ない形式化されたものになっていった。
ただ、一包では織部・遠州・石州等が、利休相伝の「侘び」茶の感覚をついに捨てずに、後代に引継いでいった努力を見逃すことはできない。
んーー。やっぱり「残照」以外のなにものでもないな…。