首里城鎖之間
沖縄の首里城には、鎖之間(さすのま)という空間がある。
以下、首里城のホームページより。
http://oki-park.jp/shurijo/guide/55
鎖之間は王子などの控え所であり、また諸役の者達を招き懇談する、御鎖之間(おさすのま)と言われる広間がある建物である。
この鎖之間、茶の湯の「鎖の間」と関連性はあるのだろうか?
また、奥には裏御座(うらござ)と言われる茶室があり、御鎖之間(おさすのま)の裏座にあたり、お茶を点てて客人に振る舞っていた。
建物の構成上、鎖之間は王の書院と奥の茶室をつなぐ場所になっている。
これは「鎖の間」と一致する。
創建年は不明。1709年の火災により消失し、1715年頃に再建されたものと考えられている。また、鎖之間はその後、増築されたと考えられている。
薩摩藩をもてなす必要上で茶室が作られ、茶室の構成要素として「鎖の間」が作られたが、薩摩藩への接待がない場合に無駄になってしまう空間に、公的な位置づけをしたのが鎖之間なのではなかろうか?
ただ、復元された裏御座には、水屋が存在しないので、茶室として機能していたかどうかは分らない。
ただ、復元した人に茶道の心得が無かった為に復元されなかったのかもしれない。
裏御座四畳半の畳の敷き方、曲がり茶道口逆勝手で、床脇半畳が無駄なんだもん。