淡交増刊 寛永文化と茶の湯7 茶人小堀遠州と寛永期の文学

林左馬衛著。

茶の湯という遊びと文学とは、どこかで確実に接点をもっているだろう──、と筆者は考え続けてきた。

著者が林左馬衛でなければ、「何を馬鹿なことを」と思っただろう。
林左馬衛の遠州評は、的確で辛辣である。

(略)少なくとも同時代的には、けっして歌詠みだったり大茶人だったりする面を、ことごとしくクローズ・アップされた形跡は無い。
人々は何よりもまず、自分たち入門者に対して底抜けに親切な小堀遠州を知っており、その点で古今未曽有であったことを、いろいろな角度から語り伝えようとして来たのであった。

我々の知る遠州像は、後世の虚像だと林左馬衛は言う。
確かに、同時代資料で見ると、遠州はお節介で親切な人。例えば久保長闇堂への親切は、常軌を逸しているくらいだと思う。

人びとは、利休の分り易い面には目をつぶり、遠州の難解な面も無視し去った上で、自分たちに都合よく茶道史を理解して行こうとする。
(略)
言ってみれば彼は、徹底的に人形化され戯画化されて行くかも知れない彼の人間像と“茶”とを、黙って後世に残す外なかったのである。
(略)
本来的に素人が頭目になりやすい武家社会の文化では、お人形遊びが終わってしまえばお茶もめでたくお終いになってしまうように、万事がルール化されてゆく。
(略)
彼らは、本歌取りであると指摘されればハイ、綺麗さびだと指摘されればハイと答えて、お茶を濁してしまうことで、世間との摩擦を避け続けた。

江戸時代の武家茶道がルール化されていた、という事はすなわち創造性の欠如であり、それゆえ創造性をたっぷり発揮して規範となった遠州の事跡は、創造性の欠如してしまった武家茶道系茶人にとって、すばらしく便利な存在だった…ということなのだろう。