茶人の旅5 加賀藩の茶湯遺構

〔勝興寺〕
(略)
この勝興寺の歴代住職の中には、藩主前田一族や総本山西本願寺嫡流が入っており、真宗寺院にある別院ではなく、別格本山というか、準本山的な寺格をもっている。
この寺の黒書院に続けて、天保年間(一八三〇〜一八四〇)に増築された茶室が現存している。
その時代には前田分家直嗣の二男廣濟が二十二代住職として入っているので、彼の意図で茶室が作られたとも考えられるし、又、その以前文化文政年間に藪内流茶湯が金沢及び高岡に伝播されていて、高岡では同流の大橋?(にんべんに同)斎という実力茶人が居たので、藪内流と関係の深い西本願寺派の勝興寺に茶室を造ったとも考えられる。

すっかり忘れてた。

あの辺…というかそもそも金沢の前身、尾山は一向一揆の本拠地で、織田勢も根切り…ジェノサイドでしか対応できなかったよーな地域。

一向宗のコントロールが大変重要で、本願寺とも連係できないといけないから、結果的に藪内流が出ばって来る可能性はあったのだった。


とはいえ、勝興寺の三畳敷も、茶室としてはさほどのものではなさそう。
天保年間じゃぁしょーがないが。


ところで、金沢と言うとカラフル〜な塗り壁が思い浮かぶのだが、あーゆー塗り壁ってお茶的にはどうなんだろう?うまく使えるんだろうか?