茶人の旅6 飛騨高山藩の茶湯

この江戸期の面影を残す高山の静かな町に、「宗和流茶道」が高山市指定無形文化財(昭和三九年指定)に指定されている。
茶道の一流派が無形文化財に指定されている例は殆んど無いと思う。

飛騨と言うと宗和流。
なんの疑問も無かった。

だが、宗和自身は飛騨を領有していた金森家を放逐された身である。
どうやって宗和の流儀は飛騨に渡ったんだろうか?
そもそも御家の流儀だから、渡る必要は無かったんだろうか。

この本には伝授経路が書いてある。

高山藩主金森頼トキ*1は、高山から出羽上ノ山へ、そして美濃郡上八幡へと転封が続いたが、美濃郡上八幡藩主の頼トキに、小出山城守より宗和流が伝受され、宗和の茶湯は、再び美濃の山間部、高山に近い郡上八幡に帰って来たのである。

他藩の宗和血縁者経由で伝授されたようだ。

頼トキから家臣の鷲見重直に伝受された宗和流は、故郷の高山大雄寺住職遠誉蘆山、大成院泰忍に伝えられた。
その後、高山の寺院を中心にして代官支配の町に静かに伝授された。

一番不思議なのは、高山の人間が宗和流を伝授しつづけたことかもしれない。
金森家高山藩は1692年に出羽上ノ山へ転封。その後高山は天領となった。

天領になった場合、領民は徳川家直属の気分になって、前の藩主を忘れると思うんだ。
天領調布の剣士たちが新選組になったように、親幕になると思う。

金森家は高山の土豪ではない。
100年ちょいの支配しかしていない。

なのに金森家/宗和流を慕っている様に思えるのが不思議である。

*1:山冠になべぶたに日