茶人の旅7 新発田藩

新発田藩の茶湯の特徴は藩主自らが石州系の茶湯の伝授者になり、石州系の一派を樹てたことにある。
これは会津保科、肥前松浦、出雲松平、福知山朽木と共に、戦国茶湯大名とは違った徳川茶湯大名の特徴でもある。
四代重雄は文人藩主であり、文学・茶湯に造詣が深く、将軍家綱が石州を茶湯指南にしたことによって、石州の高弟品川東海寺高源院の怡渓宗悦に入門してその伝授を受けた。

藩主が茶にはまって、完全相伝をいいことに流儀を興すのは、江戸時代まれによくあること。

理由はよくわかる。

部下の指図を受けたくないってことだ。

ずっと江戸詰め、とか、ずっと地元詰め、とか決まってれば、地元の文人坊主に学ぶという形式も取れるが、参勤交替する以上、そうはいかないもんね。