茶道規範79 利休伝3 利休蟄居

利休蟄居の様子。

天正十九年辛卯正月十三日ニ在所界ヘ蟄居シ閉門不審庵ヲ出ル時ニ當テ小棗一ツト茶半袋ヲ左右ノ手ニ握リ袖中ニ納テ乗物ニ乗ント欲スルノ時家僕ヲメ硯紙ヲ請テ書ス
利休メハトカク果報ノ者ソカシ カンシャウセウニナルト思ヘバ」
ト堅紙ニ記シテ巻テ上ニ封目ヲ付テ於龜ニ思置
利休ト書テ於龜ニ渡候ヘトテ出ル
於龜ト云ハ居士ヵ娘少庵ガ妹ナリ
即チ此真筆我四方庵ニ所持スル者ナリ

利休が秀吉の勘気を被り、京屋敷から退去する時。
利休は小棗一つと、茶の半袋一つを袖に入れ、屋敷を後にする。
乗物に乗る時「利休めはとかく果報ものぞかし 菅丞相になると思えば」の句を認め、家僕にお亀に届けさせた。
お亀は利休の娘で少庵の妹である。
この真筆は宗偏が所持している。


まず、お亀は利休の娘である。が、少庵の妻と言われている。
千家内弟子の宗偏が、自分の師匠である宗旦の親の事を知らない筈が無い。
が、お亀が利休の娘で、少庵の妻であったら、少庵は利休の直系でないのが明らかになってしまう。
「本には妹と書いたけど、これはもちろん妻のことやで。古文知らんのか?」という、猛烈に苦しいごまかしをやっているのではなかろうか。


次に、退去の逸話に出て来る古田織部と細川三斎の存在がスルーされている。
織部徳川幕府への反逆者だったからかもしれない。
豊臣政権から嫌われた男を、徳川幕府への反逆者が見送るのは、アナーキー過ぎるもんな。

最後に。この真筆、見てぇっ!今誰が持っとるんや!?