茶道規範78 利休伝2 少庵

居士ガ子息ヲ宗淳少庵ト云ヒ我家ノ箕裘ヲ恥ル事ナシ
一時京師ニ出テ試ルニ花洛ノ美我ガ道ノ好事其多メ且ヨシ

ってことで少庵の話。

少庵が京に上った理由は判らない。
おそらく道安との関係だと思うが、憶測に過ぎない。

宗偏の語る少庵は、自分へのチャレンジ!みたいな扱いになっている。

於是父ヲ招ント思フ其友トシ善キ者モ亦催シ云フ
因テ居士ヲ洛中ニ招ク
利休其言ニ従テ直チニ赴キ至ル
居士都ノ風流乃シ少庵ガ言ノ如シト云リ

利休が少庵に都の風流を教わらないといけない理由がまったく判らない。

そもそも宗偏は、利休は紹鴎の弟子説を採用している筈だったんだが、利休はどこで学んでいたと思っていたんだろう?

此故ニ紫野大徳寺ノ門前ニ令居號メ不審庵ト云フ
(略)
今ニ至テ居ル所ヲ利休屋敷ト云フ畠トナレリ
(略)

大徳寺門前に畑が作れる余地があるとは思えないが…。


さて、本書では、道安の存在がすっかり「無かったこと」にされている。
また、少庵に関しては養子である事を公表していない。

この辺、当時の千家が系図ロンダリングに走っていた事を示すんではないだろうか?