釉から見たやきもの14 融点

亜鉛の融点は約四二〇度です。
私はこのことが頭にあったので、亜鉛ダストなら簡単に融けてくれると思い、美濃の土に釉としてかけて一三〇〇度で焼いてみました。
この徳利の半分はよく融けてガラス化しました。ところが半分は全然融けずにガサガサでした。
その時に強く感じました。
“やきものの化学は教科書の数字を覚えることではなくて、ものそのものを焼いたらどうなるかを自ら試す以外にはない”と。
しかし感ずるのは易しく、行うのは難しくて……

常識では融ける筈のものが、融けないことすらあるのが陶芸の世界なのか…。

日常われわれが陶芸で使っているものは化学的にみて雑多なものが多いのですが、なかには硅石、アルミナ、コバルト、鉛のように比較的純度の高いものもあります。
しかし単純なものほど扱いにくい傾向があり、融けなかったり、融けてもなにか癖があって単独では使いにくいものが多いようです。
(略)
先人陶工は“単独ではどうもよくない。なにかを混ぜたらよくなるのでないか?”と発想して混合をはじめたと想像されます。
そこで先人がなにをどのように混合してきたかの足跡を辿ってみましょう。

実験はこ難しいので省略。
混ぜると融点が下がる事がある、というのが不思議。

この結果得られたもので、日本では銅が、低窯能力の奈良三彩と高窯能力の織部とに登場します。
そして現在ではいろんな薬瓶に入ってわれわれの棚の上を占領しています。

ああ、灰釉一本やりのトコに、志野で長石釉が入って来て、そこで織部の銅か…。
確かに歴史的経緯ではそうだわ。

国際的にはともかく、国内的には画期的なことだったんだろうな…。