茶道文化論集
永島福太郎/淡交社/1982年。
永島福太郎による、さまざまな茶道論文集。
冒頭の「茶道史序説」は、いまさら感なので省く。
「茶湯の前史」より。
実は『喫茶養生記』の下巻は桑木・桑葉など桑の薬効を主として説いたもので、「茶与桑並服、貴重無高下、二倶仙薬之上首也、養生之妙術而已」と結んでいる。
そこで『喫茶養生記』には桑茶経の通称が与えられたほどである。
桑と茶との同等の薬効を栄西は信じていたといってよい。
なるほど。
ここで疑問なのだが…。
禅僧は中国から禅のついでにお茶を招来した。んで栄西は、薬としてお茶を将軍に勧めた。
…なんで漢方を持ち帰らなかったんだろうか?
彼女が娘大姫が病気になった際に行ったのは「加持祈祷」である。
当時の最大の医療行為。
禅宗は茶の湯の習慣を持ち帰ったのに、漢方薬の知識を持ち帰らなかったのはなぜだろう?
栄西は、茶と桑程度の薬効にしか触れていない。ということは、漢方の具体的な知識はなく、せいぜい身近な茶と桑の断片的な薬効しか知らなかったということになる。
漢方は持ち帰るべき知識ではなかったのか、それとも仏教の布教にむしろ邪魔だったのだろうか…