茶道文化論集7 義政の茶の湯の証明

義政が茶湯をおこしたということは、いわば定理をこえた公理である。
いまさら照明の必要はないとされよう。
しかし、あえて公理の座をはずしてここに証明を試みる。

と、凄い難題にチャレンジする著者。

豊臣秀吉の愛顧をうけた葡人宣教師ロドリゲスの著である『日本教会史』には、茶湯のことも詳しく見える。
宣教師は布教に当たって日本の習俗も知っておく必要があったからである。
その茶湯のおこりを説明する章のうちに次のような文がある。

都で支配に当たっていた公方の中で―一四一九から一四七九まで―全盛を誇った人物があった。
(略)
その土地の名によって彼は東山殿と呼ばれた。
この公方は生来、たいそう茶を好み、
(略)

あーはいはい、ロドリゲスロドリゲス。

義政の東山山荘生活を語るし、茶席茶道具の設備まで説いている。
(略)
日本教会史』は十七世紀初頭に記されたもので、利休や秀吉がなくなって間もなくのころである。

んー。それより前に山上宗二も東山殿をお茶の始祖としているんだから、結局桃山時代には既に義政が茶の湯を始めたという伝説が流布していた、ということしか証明できていないと思うの。

このあと、同時代のさまざまなお茶の流行について示した後で著者は語る。

義政が小座敷の茶湯にいそしんだという恰好の証拠はない。
しかし、興味をいだいた事は前掲の証拠で了解できよう。

おい。定理公理を再証明する、なんという野心的な話をするなら確たる証拠を出そうよ!状況証拠で廻りを固めるだけ、なんて半端過ぎるだろ!オイ!