茶道文化論集36 茶堂

利休時代、茶湯の専門家を茶湯者と呼んだ。
(略)
さらに、『山上宗二記』には、「関白様へ被召置当代ノ茶湯者」として、田中宗易、今井宗久、津田宗及、山上宗二、重宗甫、住吉屋宗無、万代屋宗安。田中紹安(道安の初名)の八人が掲げられている。

ということで、茶堂の話。

宗匠とは学徳ともに秀れた名僧のことで、明匠、名匠などというのに同じい。
中世では歌道、とくに連歌の師匠が宗匠と呼ばれた。
(略)
やがて、宗匠というのは茶匠がほぼ独占する。
(略)
これら、近世の宗匠という称呼は、仕官したものではなく市井でこれを職とする
師匠たちをさすものだった。
仕官した茶匠たちは、茶堂あるいは茶堂役などといわれる。

宗匠というのは市井の茶道指導者で、茶堂というのは宮仕えの茶道指導者である。

明解だ。

ということで、豊臣政権下で、茶堂が町人の商人ばかりなのはなぜなんだろう?織田家が京に入ってからずいぶんたつし、古田織部以外にも武家茶の湯の達者はいただろうに…。山上宗二が彼らを意地でも認めなかっただけという気もするが。

例えば織田常真や佐久間不干、荒木道薫の様な御伽衆と、茶堂の違い。

不明瞭だな…。