茶道文化論集35 茶会と墨蹟

茶数寄では掛物が第一の道具とされ、しかも掛物では墨蹟がもっとも尊重される。
(略)
利休茶道伝書の『山上宗二記』に説かれ、また利休茶道の集大成という『南方録』に縷説されたので、広く流布普及した説である。

しかし、そうではなかったんでは?と著者は天王寺宗達他会記をカウントして、墨蹟よりも絵掛物が多かったこと、掛物がない方が多かったことを論証する。

…それは俺もやったことがある。

『南方録』で掛物を第一の道具といい、また掛物の第一は墨蹟だといっているのは、他と比較して第一という意味と思われる。しかし、いちめんでは絶対的なものという主張もほのかにしのばれる。
『南方録』が利休直伝の書とはいうが、その成立が『源流茶話』と同時代の元禄時代であったため、ほぼ墨蹟が茶道具の眼目ということになっていた現実を顧慮せざるをえなかったことが、ここに示されていると思われる。

なので、南坊録の掛物重点主義に関する主張が利休時代の茶風とは矛盾する、という指摘は私も同感である。が。

ともかく、現状では『山上宗二記』や『南方録』を主体として、墨蹟のみならず、利休の茶道を論じることは避けるべきである。

利休時代の茶書なのに墨蹟第一主義を語っているから、山上宗二記も後世の捏造の可能性がある、ということか…。

でも、著者の語る山上宗二記の「墨蹟優先」は、あくまで掛物の中で尊重しろ、という美意識であって、山上宗二記の語る道具の順位は茶壷第一で、掛物は最下位に近いのだ。んで、その最下位の中の上下関係というミクロな話である。著者の誤読ではなかろうか?