茶庭の話

中根金作/淡交社/1969年。

日本庭園のうちでも茶庭は特殊な形態と役割を持っている庭である。
(略)
この茶庭はまた、特殊な形態を持つ庭であるけれども、忽然としてその形態が発生したものではない。
それは飛鳥・奈良時代に始まった日本の庭をやはり母体として、次第に茶の湯の要求に応じた形態として発達したと考えるべきである。

この本の主張は、茶庭は日本の庭園の伝統上に出てきた、というもの。
したがって、まず茶庭成立以前の庭園の話となる。

日本の庭園を研究する上において仏教の影響を知らねば、その発達を明らかにすることはできない。
(略)
池中に九山八海石を立てることは、単なる庭景を添える目的の一捨石のためではないのであって、鹿苑寺金閣慈照寺銀閣も当時は舎利殿として建てられたもので、この内には仏舎利が祀られていたのである。
(略)
浄土教とともに日本の庭園に大きな影響を与えて、庭の形態に基本的な変化をもたらしたものは中国に発生した神仙説がある。
(略)
この「三島一連」というのは、蓬莱、方丈、瀛州の三つの神仙島を表わした庭のことをいうのである。

なるほどねぇ。

室町以前の社会では庭を作るのは余裕のある人間…貴族か寺ぐらいだから、庭の目的は浄土の再現か、(不老長寿を与えてくれる)神仙の住処の再現が目的になるってことだな。

とすると、茶庭はなにを再現したのか?ということになるわけだ…。