茶庭の話2

「九山八海石」とか「三島一連」とか、「心字池」「三尊石」など、実例付きで茶庭の構造を説明してくれる。それはいいんだ。

茶の湯の教典の一つである「南方録」につぎの一節がある。
(略)
この意味は、茶の湯の目的は小さいながら、この世に清浄無垢の仏土を実現し、一時的の集まり、少数の人であるが、理想の社会を作ることだというのである。
こうした宗教の精神をもととして発達した、茶の湯の作法を行う道場であった茶室に対して作られる庭園は、これにふさわしい形態の作庭が行われてきたのは当然であった。

露地、という言葉等、南坊録で茶の湯を解釈しようという人は多い。
でも南方録自体、茶の湯を禅的にこじつけようとした本なので、それをやってしまうとトートロジーなんだけどなぁ。

日本庭園史の上で、茶庭と称される形態の庭が現れてくるのは、千利休茶の湯の式を体系づけて活躍したころからと考えてよいと思う。
(略)
茶庭は一歩踏み入れば、俗界と切り離された清浄身の場であった。
したがって、ここに身を置いたことの自覚を持つ必要があった。
さらに別格の仏世界とも考える茶室にはいる手前の場でもある。
そこで当然必要な、心身を清める漱清の場所がいる。

ここまで例証ありきで来ていたのに、茶庭になるとそこの仏世界ぶりが印象レベルに落ちるのが残念。

蹲踞手水鉢は身を清める以前に、道具を手にする前に汚れを清めると言う当然の意味が先行していた筈で、禅とは関係ないと言えば関係ない。

そもそも異界へのあこがれは仙人道教シノワの影響であって、禅のそれではないし、せっかく仏世界と言う茶室に入ったのに、中立で出てきてしまうのをどう説明するんだろう?