利休の茶花

湯川制/東京堂出版/1970年。

時代は、絶え間なく、変わっている。
同じ言葉をつたえていても、その現われは、決して同じでない。
それが人間の歴史といったものであろう。
(略)
今の茶会の風俗など、紹鴎や利休の時代には、まったく予想もさない有りさまであろう。
それとても、受けつぎ、ゆずり渡しの繰り返しの結果である。
それもまた、伝統なのは間違いない。

著者は、人間の伝承能力に関して非常に懐疑的かつ、肯定的である。
「そんなもんだ」ってな感じである。

利休の挿花についても、変化した伝えになっていないだろうか。

という事で、こっちの本も「利休の茶花とは」というものを探るお話である。

ただ:

『右ノ会共ハ年中毎会之内品替たる斗を御書抜候事不心得候 而上御思慮可承候』

堺の南宗寺の首座で、その塔頭、集雲庵(南坊)の住、宗啓は、このように詰問されている。

南方録に疑問がなさそうなんだよなぁ…不思議不思議。