利休の茶花2

天文六年丁酉九月十三日
朝 千與四郎殿へ 久政一人
(略)
花器は、一書に「細口に花、鶴の一声」とあり、他書に「鶴の嘴に花」とみえる。

松屋会記の、俗に言う利休16歳の初茶事の話。
そもそも、写本の一つに山上宗二記の伝える利休所持花器「鶴の一声」が記載されたのが少年与四郎茶会の成立につながったんだよなぁ。

合憎なことに花材は書かれていない。「花」とあるだけである。
利休がこの花入れに挿花していたのはわかる。
しかし、何であったかがわからない。
掛物についての記載があれば、その意向によっての想像もできようか。ここでは、その手掛かりもない。

花が入っている事自体重要なのは、後年「鶴の一声」には水だけを入れて花を入れない趣向があったからである。

梅――不図、そんな花材もうかんでくる。
(略)
九月が正しいとなれば、想像は、はかなく消えてしまう。

でも妄想でどんな花が入っていたのか推測するというのはいかがなものか。

利休時代の茶花を同定するのに、いろんなアプローチがあったものである…。