旧一条別邸恵観莊2

さて茶室の間取り。現在のソレは以下から見れる。

http://ekan-sanso.jp/visits.html

「京都美術大観 茶室」に収録されていた間取りは以下の通り。


比較すると、上下の板の間が畳敷に変わっており、縁側の構造もずいぶん追加されている様だ。

長炉の有る位置が板の間である旧構の方が理に適っている気がする。


この茶室、一条家では茶室兼住居として使っていたのだと思う。
が、「茶室」として使うにしても寛永年間である。お茶はかなり個人的なものであった。

宗偏流が移築した段階で、大寄せなどに使うニーズも有り、板の間を畳の間に変更し近代の茶室として使いやすくしたのではなかろうか?