茶儀指掌

小出良金/潜龍庵/1907年。

明治40年の松尾流の本。

「序文」から。

余茶道ヲ好ミ曩に松尾茶博ニ就テ法ヲ問ヒ同門諸子ト時々相會シ斯道ヲ研鑚セシカ今ヤ諸子離散分處シテ復タ相語ルコト能ハズ
故ニ各點茶ノ儀節ヲ異ニシテ甚シキハ同流ノ看無キニ至ル
所謂源遠クシテ末益分ルヽ者ナリ
慨嘆セサル可ンヤ
余謂ヘラク茶儀ヲ一定シテ差異無ランコトヲ欲スレハ之ヲ筆記スルニ如カラズト

松尾流を学んでいた小出良金だが、同門の人が分散し、お点前も食い違う様になってきた。
それを統一しようと、この本を書いたという。


「松尾流系譜」から。

往年余宗幽宗匠ニ就テ茶儀ノ鄙見ヲ陳ヘテ教ヲ乞ヒシニ之ニ答テ壹巻ヲ授ケラレタリ
後チ宗見宗匠ニ従テ疑義ヲ請問スルコト尠カラズ又數種ノ免許ヲ得タリ

小出良金自体は、八代宗幽と九代宗見に師事した。


明治40年は八代宗幽と九代宗見は存命である。
また、本書の著者は松尾流と喧嘩別れした人ではない。

なのに、明治40年頃、松尾流の流儀にいろいろな混乱が有り、一門の結束も低下していた。

そこで著者は書籍と言う形で統一を計ろうとしていた。

しかもこの本の監修に松尾流家元は入っていないのである。


この時期に松尾流のガバナンスが低下するような何があったんだろう?
大変気になるんだが…。


明治二十年代の松尾流の京都→名古屋シフトの影響かと思ったのだが、そもそも著者は尾張藩の人間で問題にはならない。

宗幽が家元を4年で辞めて台湾に渡った件も、後継者宗見との交流があるわけだから関係ないだろうし…。

大正6年に九代宗見が死んでから13年間家元不在期間ができるが、この本それより前だし…。