数寄屋図解事典6

かいしょ(会所)
鎌倉時代初期の武家造に付随した建物の一つで、重層よりなり階下を客殿とし、階上を喫茶亭といわれ、この邸で連歌や闘茶を行ったのである。
(略)

会所のイメージは平屋で、当然一階で闘茶をしていた、と思っていた。
でも二階だったのね。
この出典なんだろう?と思い再調査。

きっさのてい(喫茶亭)
「喫茶往来」によれば2重層の建物で階下は客殿、階上は喫茶の亭とし、四方を眺望のよいように開き、(略)栂尾の茶を喫しつつ闘茶を行ったというのである。
(略)

喫茶往来か。なるほど。

しかしあれですね。

武家造建物の二階でやっていたお茶が、いったいいつ「書院のもの」になったんでしょうね?

これは「囲い→独立茶室」よりもずっと大きな変化だと思うんですが…。文献的に判るものないかしらん?

かいにょあん(皆如庵)

京都東山円山公園の南辺にある西行庵の境内の茶室で、もと叡山の麓にあって宇喜多秀家の息女が久我大納言家へ輿入の際持参したという由緒あるもので、明治27年現地に移築された。
(略)

http://d.hatena.ne.jp/plusminusx3/20140602

このお茶室ね。

んで、調べてみると、

現在西行庵では西行庵茶道円位流というお茶を行っており:
https://saigyo-an.jimdo.com/

ここでは系図をあげて孫と言っている。
やはり伏見宮家の婚姻でまちがいないようだ。