数寄屋図解事典12

しょうふうあん(松風庵)

鳥取県米子市内町後藤家邸内にある茶室。
後藤家は金工で有名な後藤祐乗の系統で、この邸内には江戸時代中期頃の創建になる書院と文化6年(1806)6代市右衛門直満の好みになる茶席松風庵がある。
入口は貴人口とし、席は三畳敷の台目構えで、床の間は台目の板床、床柱は廻り8寸1分の南天を用い、中柱は竹である。(略)

この時期の三畳台目席は大体燕庵形式だから、あまり興味はないが、床柱は別。
こんな巨大な南天があるのか?見てみたいぜ。

http://www.tottori-guide.jp/tourism/tour/view/239

残念ながら内部は非公開である。

本項目では米子後藤家を後藤祐乗の系統としているが、廻船業の人なので違うんじゃなかろうか。

しょうきあん(松喜庵)

鎌倉市北鎌倉広田邸内にある茶室。
昭和30年竣工したもので、四畳半台目の席に水屋勝手をつけ、外側には腰掛待合を設けたもので、躙口前には庇をかけて内蹲踞を配置してある。

これで全文である。
初版昭和34年の本に、まったく歴史的価値のない新築茶室が掲載される、というのは不可思議だが、おそらく編者が設計に関与したか、人間関係の綾だとかで載せなきゃいけなかったんだろう。
推測ではこの広田氏は壷中居の広田不狐斎だろう。引退後鎌倉でお茶三昧だったらしいし。

現在この茶室がどうなったかは判らない。この地域は鵠沼広田弘毅が住んでいたので、そっちの情報しかひっかかってこないんだな。

じょうしんいんのちゃしつ(常真院の茶室)

もと京都嵯峨天竜塔頭常真院内の書院の傍にあった細川三斎好みの茶室で、(茶道宝鑑所載)席は四畳台目席に板床をつけ、洞床を配し、天井は蒲天井、入口には内坪があって矩折に板縁を設けてあったと伝えている。
この席は現在天竜寺にその遺跡らしいものはないが、大正11年(1922)ころ熊本市の泰聖寺内に復原され、大体古図にならって造営され仰松亭と名付けられている。
(略)

仰松亭はこーゆー変わった間取りの茶室である。

旗状地の玄関みたいになっていて、客座から亭主が見えない。

しかも入口は内坪板縁…つまり土間の様になっている。
貴人が田舎家茶室で茶を点てる、みたいな不思議な茶室である。

泰聖寺内に復元、とあるが、泰勝寺は明治の廃仏棄釈でつぶれており、立田自然公園内泰勝寺跡、というのが正確である。

残念ながら地震の影響で見学できないらしい。
https://www.city.kumamoto.jp/hpKiji/pub/detail.aspx?c_id=5&id=5789&e_id=14