数寄屋図解事典13

しりんてい(紫琳亭)

大阪天王寺逢坂下一心寺内にあった数寄屋。
楽山洞ともいわれ、八畳敷の広間で隣りに三畳台目席がある。
紫琳亭は床の間及び付書院を構え、西北2面に板塀を付け、次の間境にはの欄間を入れてある。
草庵の席とともに大阪冬の陣中に徳川家康茶臼山にあって小堀遠州に命じて営まれていたものと伝えている。
広間の縁先に大久保彦座衛門の手植の老椿があったが、昭和20年の戦火で焼失した。

大坂冬の陣は20万人の徳川方が大坂を2ヵ月包囲した戦い。
この戦いの兵站を担当した遠州は、備中天領の代官として倉敷から大坂へ兵糧を送りまくった。
とてもではないが、そんな暇はない。というか、依頼する方がおかしい。

せきしゅうこのみさんじょう(石州好み三畳)

古図に伝えている茶席で一間半四方の室内に床を構え、炉と風炉の際は向板と畳の敷替によって点前座や客座に編化を与えるような構想になるものである。畳は三畳といっても本畳一帖と台目畳二帖である。

挿絵が判り難かったので整理してみた。

パズルみたいでかっこいい。ただ、炉の時に欠陥があるように思う。

一つは客の収容人数が減る事。もう一つは給仕しずらい事だ。食事もしにくいかもしれない。

ぜんどうじがたとうろう(善導寺形灯籠)

京都善導寺境内にある六角形の石灯籠で、その火袋に茶器を浮彫にしてあるのが特色で、中台の蓮弁の形はやや剛直なものである。

画像でぐぐればいっぱい出てくる。周囲に茶筅やら茶入やらが彫り込まれている灯籠である。

やたら出てくるのは石屋さんが推しているからで、石屋さんが推しているのは、おそらくいまどき灯籠を買うのは茶人だけだからだろう。