数寄屋図解事典16

たけむらあん(篁庵)

京都市紫野大徳寺塔頭三玄院内にある茶席で、もと本願寺にあったのを明治になって現代のところに移築したもので、藪内剣仲の好みになり、燕庵の席を写した形式をの席で、扁額の篁の字は法如、庵の字は文如上人の字であるといわれ、席は三畳台目、その後方に水屋を付属したものである。

日本建築協会によると
http://www.aaj.or.jp/events/study/160326.html
「こうあん」だとか。

席自体は燕庵形式なのでどーでもよいが、本願寺から大徳寺への移築はどういう理由なのか気になる。特に、法如文如親子の扁額が付いたままってのが。
大徳寺が寛容なのか?

たんこうあん(湛浩庵)

福岡市天神町の平岡浩太郎邸内あった茶室で、もとは神谷宗湛の好みの席で神谷家に保存されたもの。
(略)
昭和20年(1948)の戦火で焼失した。

上記いろいろ誤字脱字換算違いあるが原文のママ。
神屋宗湛の湛浩庵は以下が詳しい。
http://mainichi.jp/articles/20160820/ddl/k40/040/391000c
子孫としては復元してほしいわけね。

ちとせけん(千歳軒)

京都北野神社境内にある茶室。明治36年(1903)同神社宮司渡辺清の当時中川宗甫の好みで建てられたもので、席は三畳中板であるが、道安囲の形式をもち、床柱は周囲1m余もあるもと宇治橋の橋杭を用いた踏込床の形式である。(略)

写真が小さく不鮮明なのだが、読み取れる茶室の形はこんな形。

これはかっこいいな!
床柱が効いてるし、非常に使いやすそう。