数寄屋図解事典22
京都伏見稲荷神社境内にある書院式数寄屋。
後水尾天皇が仙洞御所の庭園内に造立せられてあったものを当時稲荷神社の祠官をしていた羽倉延次に御下賜になり、それを拝領して稲荷神社の楼門の隣に移築し、今日まで保存されている建物で、昭和2年(1927)4月に国宝に指定せられた。
単層入母屋造、主室は七畳敷として(略)
千本鳥居の幻想的な押し出しで外人へも人気の伏見稲荷。
私には全力でさい銭数えてる脂ギッシュなおっさんたちしか印象になく、まったく茶の雰囲気じゃない場所だと思っている。
そんな由緒正しい茶室があるとはねぇ。
8畳敷の1畳を床にした7畳と、連接する8畳間。全然作意もない茶室。
内装が凄いかと言うと…
https://kanko.city.kyoto.lg.jp/detail.php?InforKindCode=4&ManageCode=1000034
そうでもない。ほんと由緒だけで国宝なんやね。現代では重文か。
なお仙洞御所に住いしているのなら御水尾上皇じゃないかなー
ふねんあん(不燃庵)
東京新橋東京美術倶楽部内の中庭にある茶室。もと両国の美術倶楽部にあったが大正12年(1923)の関東大震災にその災いを免れたので新橋の同倶楽部の建築に際して移築し、席名をかく名付けられたもので、席は三畳台目である。この席はまた静清庵と呼ばれている。
東京美術倶楽部は平成3年にビルになった。
じゃぁ不燃亭はどうなったかというと:
http://www.mugenan.com/construction_art/construction_art19.html
石川県に移築された様だ。
もともとは広島浅野家の茶室だった、ということか?
へんらんてい(遍覧亭)
市川市真間山遍覧台にある茶室。遍覧台は元禄8年(1675)水戸光圀衡が当所の松籟に茶を味わい、その茶亭を遍覧亭と名づけられたという由緒によって市川市長を会長とする復興後援会が発起して昭和30年1月竣成したものである。
この茶室は7年前に老朽化で取り壊されたようである。
http://www.ichiyomi.co.jp/20100717b.html
移築の話もなかったみたいだから、だれも欲しがらなかったんだろうなぁ。
にしても55年で老朽化ってのは茶室としてはあまりに短命であるなぁ。