数寄屋図解事典27

むしぶろ(蒸風呂)

四方を密閉して湯気で身体を蒸し温める風呂をいう。
(略)
松江菅田庵には御風呂屋といわれる待合がある。
菅田庵は松平不昧が家老有沢弌善のために設計した茶室で、これに付属する待合は当時鷹狩などの帰途この席に立寄り、まず御風呂屋の土間に入り障子を開けて一畳の部屋に上り、猟衣を脱いで、板の間に下り、蒸風呂に入って発汗の上、板間に出て水を浴び、二畳間で少憩し、南面の肘かけ窓から菅田庵の棟を眺め、常服に着替えて茶席からの合図の鐘を聞くという趣向のもとに造られたものである。

松江には行って明々庵とかを見たが、菅田庵は行っていない。
こんな面白建物なら見ときゃよかった。

注意すべきは上記の既述でエラくくつろいでいるのはあくまでも客であり、亭主は茶席の準備をして用意して鐘を鳴らす側である。

…この茶室、不昧が部下に自分を接待させるために強要したリラクゼーション茶室じゃねーの?

むらたそうしゅ(村田宗珠)

(略)
大永6年(1526)青蓮院の池の中で茶会を催した際は阿部少将や長倉少納言の中に列しており(二水記)、天文元年(1532)9月6日に左少将鷲尾隆康は宗珠の茶屋を見てさながら山居の体のように感じたというのであるが、その歿年は詳かでない。

前者は二水記 大永6年8月23日の記載である。

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後者は天文元年9月6日の記事。

http://base1.nijl.ac.jp/iview/Frame.jsp?DB_ID=G0003917KTM&C_CODE=0257-038707&IMG_SIZE=&PROC_TYPE=null&SHOMEI=%E3%80%90%E4%BA%8C%E6%B0%B4%E8%A8%98%E3%80%91&REQUEST_MARK=null&OWNER=null&IMG_NO=610

後学の為記録しておいた。

めいめいあん(明々庵)

松江市菅田有沢山荘内にある数寄屋。
寛政年中(1789−)松平不昧の好みで同市殿市の有沢本邸に造営された茶室であるが、明治初年渡部善市、松原瑜州の手を経て東京四谷の松平家に移築してあったものを大正12年一々会の管理に移され、さらに昭和3年松江に移すことになり現在の山荘内萩の台の隣地に移築された。
(略)

あれ?明々庵が菅田庵にあるなら、なんで俺菅田庵見てねーの?と思って調べた。

http://www.meimeian.jp/meimeian/

本事典発行後に移築されたのね。

しかし場所を点々とする茶室である。

東京にあったら四谷じゃ空襲で焼けていたろう…と思って調べたら、四谷(出羽坂)松平邸は四谷一帯が全焼した大空襲で奇跡的に被害を免れたいたみたい。
土塀と茶庭が延焼を防いでくれたんだろうか。