数寄屋図解事典28

もんえんあん(聞燕庵)

京都岡崎中井邸内にある茶室。
文化5年(1805)4月世継寂窓によって造営された居然亭に付属する茶室で、明治の末年中井家の有に帰した。
(略)

世継寂窓は江戸後期天保年間に死んだ豪商画家。
中井は中井八郎兵衛で、こちらは明治の実業家。

聞燕庵で調べても藪内家の燕庵が出てきて紛れて調べが付かないが、居然亭で調べると引っかかった。

http://www.city.kyoto.lg.jp/bunshi/page/0000175575.html

世継寂窓が居然亭を造り、それを買った中井八郎兵衛が拡張。
んで、旧居然亭スペースは現存しない、というところか。残念。

まぁ茶席自体は楊枝柱付四畳半で特筆すべきものでもないけどね。

戦火を免れた京都の茶室だからと言って、昭和から平成まで生き残れるとは限らないわけか。

やつまどのせき(八窓の席)

茶席の四囲の壁に8ヶ所の窓をつけてある席をいう。
(略)
堺五貫屋町藤井某の庭には小堀遠州の好みとして二畳台目の八窓の茶室があった(築山庭造伝)と記されている。

いや、それほぼ窓だけの席だよね。
窓以外のトコ、床と躙りと茶道口ぐらいしか残せないよ。

やなぎいた(柳板)

草庵数寄屋の隅炉の左の壁際に寄せ板として幅4.7cm(1寸6分)くらいの板を入れる。
この寄せ板は柳の木を用い、俗に柳板ともいわれ、柳は火を防ぐの意から用いられた。

大昔に記事にした事がある。

http://d.hatena.ne.jp/plusminusx3/20100405

  1. 柳の木で造るので柳板という。
  2. 柳の木は火を防ぐ意味がある。

よしこんだけ知ってりゃよかろう。