茶室考19
最後に粟田添星に関して。
日本の伝統芸術である茶の湯を探求しつづける筆者が、日本建築の粋としての茶室建築と取り組んだのが終戦後、即ち海軍に所属して南方ブーゲンビル島に進出、悪戦苦闘の末、無事にも第一線から幸い帰還してからの事である。
粟田の生年は明治38年。昭和二十年に40歳である。
経歴に朝鮮土木士、海軍技士とあるので、海軍の設営隊かなんかで陣地を作っていたんだと思う。
ブーゲンビル島は激戦と言うより、米軍に放置された飢えと病と自給自足の戦いである。
この年齢で陸軍と一緒に島に配備されたのは不運と言うしかない。
綱島公園には「桃里庵跡」というのがある。桃里庵がどうなったのかは不明。
潮淙庵とは、湘南辻堂海岸に近い場所で、旧海軍陸戦隊の演習地として知られた白砂青松の地に作事した草庵で、潮淙と名づけられた。
これも該当しそうなものが見付からない。
茶室、という作品もあんま残ってないっぽい。かなり不運なんじゃないかな…この人。