松屋と炉のサイズ

炉のサイズは利休あるいは紹鴎あるいはその両名が現在の大きさに定めた。
まぁそういう伝承がある。

では松屋会記で炉のサイズについての言及はどうなっているだろうか?

松屋久政会記を読んでみる…読んでみる…全然ない。


久政がものの大きさに興味がないわけではない。

茶道具のサイズ…茶壷の高さや茶入の大きさ、墨跡のサイズにはなみなみならぬ執着で記録されている。

見付かった。
天正十一年一月の、筒井順慶の会である。

北向御座敷、エン杉、スノコ天井、シゝクイヒラフチヘエハリカエ一尺四寸ハカリノイロリ、鏁ニ京ヨリシャウハリ、ミジン灰、スミトラスニ、

ここで伝承通りの一尺四寸炉の登場である。

これまでサイズの記録が無く、定寸が突然記録されたと言うことは、デフェクトスタンダードでない炉が登場し流行しはじめたことを指すのではないか?

ではここまでの炉はどういうサイズだったんだろう?という疑問は残るが、ちょっと早いが利休の活躍期にもかぶっているので、炉のサイズを定めたのは利休なのかもしれない。

ところが、翌年の筒井順慶の会は

北向四条半、左カマエ、四枚戸、竹エン、一尺七寸ノ炉、アライフチ

と、むしろ大炉に近いもの。これが利休の指図なら実にぐだぐだである。
ということで謎が深まるばかりであった。