南方録と立花実山8

実山所持の道具に関して。

実山は宝永五(一七〇八)年六月三日綱政の命によって中老の野村太郎兵衛祐春に預けられ、鯰田に幽閉されている。
「長野日記」によれば、このとき実山は茶道具などの家財を除いて武道具のみを藩に召し上げられている。
実山が書き留めたと思われる「立花家什物目録」(「屏山文庫」福岡県立図書館蔵)という史料がある。
(略)
この「立花家什物目録」の中から南坊所持と付記されている道具を選び出すと次のとおりである。

掛物
○○○一 一山墨跡 南坊所持 表具ともに古来

花入
○○○一 吹毛 利休居士作、 名判有之、 南坊所持

香炉
○○○一 東雲 南坊所持

茶杓
○○○一 南坊ロテイ 筒ともに

実山は南方録の入手ルートから南坊所持の道具を求めた、と書き残している。それがこれらである。

現代に伝わる南坊宗啓の道具は、高山南坊左近との混同や、宗啓=慶首座=利休の茶杓の下削師という発想でこじ付けられた別物が多いが、実山所持のものはそうではないと思われる。


実山がこういった道具を持っていたというのなら、もしかすると南方録はこれら道具の正統性を証明させる為に作られたフェイクの茶書なのかもしれない。


…ないか。

そんな目的のためにしちゃ南方録の分量は多過ぎ、良くでき過ぎている。
それに贋道具を売り払うためなら消息の一枚でも偽造するだけでいいわけだからなぁ。