利休の時代の茶会記を読むと、今みたいなお菓子は出てない。
ふのやき(味噌クレープ?)とか、椎茸とか昆布とか、あんまりにもお茶菓子らしさに欠けるものが出て来る。
一応、金平糖などの南蛮菓子が輸入されてたし、利休ら金持ち集団が買えないはずはなかった。
つまり、甘いものを食べて、お茶で味を消す、という考え自体無かったんじゃなかろうか?
懐石の最後に出汁味とか味噌味とかのものを口にし、濃茶を待つ、というのはどういう感じの茶事だったんだろう。
なんかのんべえっぽい?
んで、たった数十年後、茶会に饅頭とか餡餅とかが出て来る様になる。
この間にどういうパラダイムシフトがあったんだろう?