へうげもの第6服

へうげものの6巻。今回は北野大茶湯以後の数年を舞台に、利休がアブラギッシュじゃなくなる様子を描いている。感想はいろんなブログでもう為されているだろうから、わざわざ書かない。

この漫画、馬揃え時の信長のファッション、信長公記にちゃんと準拠していてびっくりしたものだが、歴史の北野大茶湯へうげものがどれくらい準拠しているかチェックしてみよう。

まずは冒頭の北野天満宮。現代の北野とちょいと違うが、都名所圖會のトレースである。より当時に近かろう。

門番。史実では加藤清正だけである。福島正則と張子はフィクションである。この辺で出しとかないと初出が関ヶ原になってしまいそうだから仕方が無いか。しかし清正より正則の方が頭よさそうなのは珍しいのではないか?

拝殿に展示された道具達。

黄金茶室には墨跡と青磁蕪無。結構それっぽく描いてあるが、蕪無ではなく下蕪に見える。

大友(上杉)瓢箪はふくさではなく、四方盆の上に置かれた様である。ささいな違いだが。

津田宗及と楢柴のニセ蓋について話をしているが、この拝殿には"珠徳の茶杓"も展示されていた。へうげもの的にはそっちの方がやばい筈なのだが…。

豊臣秀吉千利休、津田宗及、今井宗久の茶席が並んでいたのは史実通り。三肩衝は拝殿ではなく、4人の茶室にあった。

秀吉の茶席は新田肩衝
利休の茶席は楢柴肩衝
津田の茶席は初花肩衝
今井の茶席は鴫肩衝。今井殿が大外れである。

へうげもの織部が入った利休茶席は

  • 墨跡
  • 高麗茶碗

であるが、実際は秀吉の茶堂として、秀吉の代わりにお茶を点てているわけだから、道具立ては自分ではできない。

  • 雁の絵
  • 楢柴肩衝
  • 高麗茶碗

なのだが、でもまあ「勝負を投げた」扱いしないと話が進まないか。

一般客がどの茶席に入れるかはくじびきで決められたのは歴史通り。でもその前に大名達が客になっていた。もちろん政治的配慮で順番は決定されており、くじびきではない。秀吉の一番客の一人が家康だが、へうげもの世界では家康は数寄に興味が無い設定なので、出て来ない。

なお実際に場内巡回に同行したのは秀長ではなく利休である。秀長は奈良の武家衆、寺社、町方とゾーンを作ってそこで茶席を仕切っていた。

美濃の一化は松葉をふすべて茶を点てていた。この点は九州での利休の二番煎じだが、茶ではなく、こがし湯で接待していた。丿貫に対する「茶を軽うしたな」のエピソードはこちらからヒントを得ているのだろう。

織部の茶席については良く判らない。完全に裏方やってたんではなかろうか?

…こうやってみると結構違ってるなぁ。でもちゃんと調べて、なおかつ変えているのが判る。そういう意味でこの話はあなどれないのだ。