茶道と筋トレ

30過ぎて筋トレを開始したクチである。

こどもの頃は全然運動ができなかった。「運動神経がない」とか言われてた。

でも、筋トレをやって「運動神経」の意味がやっと判るようになった。

なんらかの運動に必要充分な筋力を有しているかどうか?たったこれだけの差が「運動神経」のある無しを決めていたのだ。「技」とか「テクニック」とかは、充分な筋力があった上での差の話だ。

中学高校あたりでやる運動だと循環系の強さも必要だったりするけど、それも含めて必要な筋力を有した上での運動の楽しさを知らずに過ごした。

つーか、学校の体育教師つーのは、「体を動かす楽しさ」「体を鍛える楽しさ」「できない事ができるようになる楽しさ」とかを教えず、生徒のその時点の能力が、カリキュラム上のどのランクかだけ判定するクソ野郎共だったな、と今なら思える。

さて、何らかの動作に必要な筋肉を育てようという場合、二つのアプローチがある。

一つは反復運動である。つまり、「なんらかの動作」を繰り返す事で、そこで使う筋肉を育てる方法である。素振りを毎日1万回、とかやる方法で、最近はあんまりはやらない。

もう一つは、「なんらかの動作」で使う筋肉をその筋肉の育成に適した筋トレで鍛える方法である。筋肉の育成と言う意味では早道である。

茶道も体を使う。運び点前とか腕への負荷が苛酷だと思うし、正座から一足で立つのをふらふらさせないのにもなかなかの力がいる。

茶道ではせいぜい前者の反復運動しかしてこなかったと思うが、所作を美しくするために筋トレする必要ってあるんじゃないかと思う。