エージング

茶碗を永年愛用していると使い込まれた茶碗の景色は変わって行くと言う。

呑み屋とかで出て来る誰が使ったか判らん湯呑みは大丈夫だが、父親が永年愛用している湯呑みは念が籠ってて嫌だ、と書いたのは確か小田嶋隆だったか。

そういう念だけだったら「茶人愛玩の茶器」とか言って、茶の世界ではオッケーという事になっている。私もそれ自体は抵抗はない。

でも陶器は簡単に経年で劣化するようなものではない。手っ取り早く変化を付けるのに、茶渋や黒カビといった、不潔方面で変えるのが確かにお手軽であろう。

自分の茶碗をそうやって化かしていくのは勝手だが、それで茶を出されたら、かなり嫌だ。
自分が食べた鍋の雑炊は食えるが、他人が食べ自分は箸をつけてない鍋の雑炊は絶対無理。感覚的にはそんな感じだ。

…ちなみに私、自分の鍋でも雑炊は苦手。そーとーきれいに掃除しないとキモくて食えない。雑炊食いたい時は鍋にせず直接雑炊として作る派である。