スノッブと侘び

贅を尽くした接待に飽きた人の、質素という縛りの中で心を尽くした接待をする、という遊び。それが侘び数寄だと仮定する。

すると、茶人の趣味の変遷が、なんとなく説明できる気がする。

贅沢に飽きてそうな豪商の利休はスノッブの極みの侘びへ向かう。

なんのかんの言ってささやかな贅沢しかしていなかった武家の、織部、宗和、遠州スノッブになるほどは贅沢を経験していないため、逆に華やか。今井家と血縁の石州の茶は若干控え目に。

千家が茶道だけで生活する様になるとさすがにそんなには贅沢もできず、だんだん趣味が華やかに。

永年豪商の三井家の趣味は渋目。そこで活躍した鈍翁の趣味も渋いし、もてなしも質素。けど、成り上がりの逸翁の趣味は派手。


十分に贅を尽くした事のあるトコで育った場合は侘び数寄に傾倒し、いまいち贅沢慣れしてないと、華やかなものを求めるんじゃなかろうか?

でもこの説明、宗旦が侘びてるのが説明しづらいのがネックか。