東陽坊

茶室や長次郎の楽茶碗に名を残す東陽坊とは、真如堂東陽坊の初代、宗珍長盛の事である。東陽坊は利休の弟子で、大服の薄茶で廻し飲みをした人として知られる。

この長盛に関し、明智光秀の家臣、斎藤利三の子*1、という異説がある。

多分東陽坊が斎藤利三首塚を作った事、利三の息子利宗が山崎の合戦で敗北後、一時的に出家して処刑回避してたことからの連想がごちゃまぜになった伝説だと思う。利宗なら出家の段階で15才。ちょっと無理がある。

ただ、もしそうなら、ちょいと面白い。

なぜかというと、兄弟弟子を眺めると

高山南坊 山崎の合戦で秀吉側の先鋒
細川三斎 明智光秀の婿なのに味方しなかった
蒲生氏郷 織田信長の婿

居づらすぎるよな。

んで、秀吉の北野大茶湯に茶席を作る、なんて、どんな数奇な運命か。

牧村兵部は斎藤利三と喧嘩別れした稲葉一鉄の孫だが、同時に利宗の母は一鉄の姪なので、親戚ではある。ここが救い…なのかな?

*1:てことは春日局の兄弟