伏見騒動

小堀遠州嫡流としての遠州流は七世小堀正方の時代に途絶えている。

原因は伏見奉行としての多額の公金横領による改易。これを伏見騒動という。

田沼政権下の時流にのって公金乱費していたら、時代が変わってしまったのである。裁いたのは「茶道訓・茶事掟」の松平定信。超絶ストイック系茶人が贅沢茶人を裁いたという構図か。

まぁ初代の遠州からして、公金横領で失脚しかかった事があるそうなので、懲りない一族という気もする。

ちなみに遠州、4代将軍徳川家綱の乳母に三沢局という自分の側室を送り込んでいた。家綱は1641年生まれ。遠州は62で子供作った筈である。元気なことだ。
春日局があんまりにも凄い権力を持っていたので「乳母ってイイかも」とか遠州的に思ってたのかもしれない。どっこい春日局があんまりにも凄かったのでそれ以後幕府は乳母が権力を持つのを警戒していたらしい。多分そういう意味では期待外れな結果だったのかもね。

さほど大きな領地は持っていない小堀家クラスの大名で、綺麗さびとか貫くには権力持って余録にあずからんといかんかったんだろうなぁ。

商人の利益と違い、宮仕えの俸給で茶道やるっつーのは辛いってのは今も昔も変わらないのかもしれない。