供出

太平洋戦争。物資は困窮し、市井の金属は兵器に転用する為に供出された。

昭和16年の金属類回収令により、渋谷のハチ公像も、武器に化けた。家庭の鍋釜も供出され、代用品として土鍋が使われるようになった。

母に言わせると「国のエライさん達は、私達が苦労していたのに贅沢していた」という。

そして今、私は知っている。いにしえから伝世している釜が、たくさん有る事を。

数寄者達は当時の社会の"エライさん"達だ。彼らは、自分の道具への愛着を、愛国心より優先したのだ、と思う。そういう意味で、母の言は正しい。

高谷宗範が戦争まで生きていたら、話は違っていたかもしんないが。

道具を大切にする気持ち、だとか、実用品であるが一個の美術品である、とか、骨董品は歴史からお借りして、次世代に送り出すべき物。そんな事は判っている。でも、庶民が苦しんでいる中、趣味の品を供出しなかった、というのもまた事実。

「戦争で焼けた茶室」はいっぱいある。「戦争で焼けた茶道具」もけっこうある。
「供出されて失われた茶釜」は聞いた事が無い。

そこに数寄者の業を見る。というのは一個のロマンなんだけど、やっぱこれじゃ敗けるよな、日本。