茶道史の散歩道
林左馬衛 著。
「歴史読本 武家茶道の系譜」でこの人を知って、おもしろいな、と思った。武士の家系に生まれ、今も武家であることを意識している、という人はそうはいないからだ。
んで、この本は林先生の随筆と、林先生がいろいろな方に行ったインタビューが収録されている。
まず随筆の方。
例えば、伊藤抱月庵が鎮信流から独立した事に対するエッセイで、
抱月庵独立への道は、私見では、自分自身を許せないことと許すこととの矛盾にあったのだ。
とか書かれても、その事情もなにも知らん身にはなんのことやらである。
林先生の文章は、ちょいとひとりよがりに過ぎる。というか、林先生にしか理解できない様な前提の話をされすぎて付いて行けない。知的に追い付けていないこともあるだろう。だが、事情を知らないと判らない話はいくら勉強してもどーにもならない。
インタビューの方。
林先生はインタビューの天才ではないだろうか?いくつか例を挙げよう。
小堀宗慶:
現代の作家は我が強く、使用目的などはあまり考えない。だから、お茶にもってくると、それだけが飛び抜けて、和まないのです。
(略)
ほんとうは、きまりきったものばかりでなく、新しい物をどしどし取り入れて、使いたいのですが…
困るのは、どこかに行くと、なにか一つ置くにも「お流儀ではこうですか」とかならず聞かれるのです。
(略)
流儀というところからこだわりだしたら、お茶はちっぽけなものになってしまうと思います。
戸田宗寛:
(林の大寄せ茶会に関しての問いに)
私はけっして好きではないんですよ。
(略)
点前なしでお菓子が出るわ、追っかけてお茶が出るわ、
(略)
これじゃあ、自分たちが何のためにお茶をやってきたのかと、情けなくなりますな。
千宗守(有隣斎):
私など、お茶はかならず損になるものと思っております。
もっとも私どもには許状という 別の収入がございますから、損をするお茶というお道楽もできますが、巷の師匠では、そういうわけにも参りません。
結局大寄せでもしておらねば仕方ないということに、なるのでしょう。こういう事では、お説のように、お茶は滅びてしまうかもしれません。
…林先生の誘導に、お歴々が実におそろしい事を語り出す。
後半だけでも読む価値ありです。