茶を語る
山田宗圍 著。昭和18年。
月の出も待遠いやうな暮れ易い秋の夕、六時頃であらうか、ここ二畳の待合では三人の客が煙草盆をさし挟んで話合つて居る。
からはじまる、いくつかの茶会を小説風につづった、変わった茶書。
呂宋殿、教授、定家卿などと名付けられた客と、宗匠との語らいを通し、宗偏流の歴史(特に忠臣蔵)について、説明していく、というスタイル。
古くさくはあるが、読みやすい名文で、非常にのんびりとした風情で話は進む。
こののんきさは、この時期の戦争の苛烈さを考えると、がんばって現実逃避してたのかもしれないね。
でも、この時期の出版物であるから戦争の影を避け切る事はできるわけではない。
「平常心としては、和敬清寂を利休が唱へて居りますが、日本人としては更に之に『忠君、愛國、修養、長壽』の心持を以て平素茶を行はれることが肝要です」
ま、こんなやりとりは、この時期の本を読んでればなれっこである。
ただ、
「左様でいらつしやいますか。大分太平洋の浪が高いやうで御座ますね。」
「海軍はいざ戰ふ場合の準備を充分にして居ります」と客はハツキリと答へた。
ありがちな会話なのに、宗偏流の茶席だとなんだかスパイ小説の会話みたいである。
内容的にはいろいろ面白いところもある。水指を釜の代りに使う茶会の話とか(えー!)。宗偏は討ち入りの夜に吉良邸に泊まっていたとか(えー?)
個人的に一番ショックを受けたのは「道具の取り合わせ方」に関する以下のセンテンス。
「(前略)侘び人は釜一つ、茶碗一つと云ふ境界ですから同じものを幾度出しても宜しいから、今云つたやうな定めはありません。尤もそれ丈け侘び人はよく吟味して道具を持つてゐなければなりません。」と亭主は中仕舞をし乍ら説明した。
ハードル高けえ。でももっともだよ、ちくしょう。
さて、最後の疑問。著者の山田宗圍とは誰なのだろうか?時期的に八代 宗有の時代だが、同一人物という確証が持てない。というか家元がわざわざペンネーム使う意味ないと思うし。
奥付では山田長守とある。この時期の奥付にはたいてい著者の住所が書かれているものだが、住所は空白。
いったい誰なのだろうね?
追記:「茶道史の散歩路」に山田宗圍さん=10代成学宗囲さんのインタビューが有り、この小説の件も触れられてました。
茶道史の散歩路を先に読んだので印象に残らなかったんですな。