風雅の虎の巻

橋本治 著。

茶道批判を含む日本文化論橋本節。

お茶のややこしさというのは(略)
「(略)こっちは"どこがいいんだこんなの"としか思えない」っていう(略)

こーゆー外からの批判はある意味あたりまえだと思うわけですが、でも、それって内側にいる当事者から見ると、あんま意味が無いものなんです。じゃ別の趣味に例えてみましょうか。


アニメファンと言うのは一体なにが良くてアニメなんて見てるんだ?あんなの平面の絵が残像で動いて見えるだけじゃないか。


サッカーファンと言うのは一体なにが良くてサッカーなんか見るんだ?あんなの玉を足で蹴って走り回っているだけじゃないか。


…いや、その「だけじゃないか」の、そのそれがおもしろいんじゃないか、それが趣味って奴の真髄なんだよ…そんなこと作者は御承知の上で、その上で煽り文句を書いているんだからタチが悪いのですが、部外者の批判、というのは結局当事者には響かないってことはお分かり頂けたかと思います。逆のパターンでいまいち茶心のみえない岡倉天心に茶を褒められてもさして嬉しくないてのがあるでしょう?あれもおんなじです。

でも、ここで本当に問題なのは、そんなことじゃございません。

こーゆー茶道批判本、昔の私だったら得たりと喜んでいた言説かもしれないわけです。でもそうじゃない、今はそうじゃなくなっている。

この本を読んで得たのは、聖俗がどうとか、真行草がどうとか、そういう瑣末な知識の話ではなくて、ああ、私は此岸から彼岸へ渡ってしまったのだなぁ、とか思う、そういう認識なのです。非常に個人的な結論で申し訳ないのですが、でも、そういうことです。