侘びと貧乏

侘び、というのは貧乏の事である。

侘び人、というのは貧乏人の事である。

侘び茶、というのは貧乏人の茶の事…ではない。かならずしも。唐物の茶への対比に過ぎない。

唐物の茶は金持ちにしかできない。でも侘び茶は金持ちにもできる。

侘び人は侘び茶しかできない。…のか?というか、侘び茶をしていたのが本当に貧乏人だったか、若干疑問があったりもする。

ま、それはともかく。

侘び茶は何がおもしろいのか?というのに私は結論が出せていない。

近代数寄者のお茶は、お金持ちの道具茶。
江戸時代の、有名茶人も金持ちばっかだ。大名茶か商人の茶。
桃山時代は割と侘び数寄の時代。でもやっぱ少数派。

歴史を通しての有名どころ。

宗旦は微妙。長闇堂と丿貫も、正直微妙な気がする。

粟田口善法とおまけで飛来一閑くらいしか貧乏茶人が思いつかねぇ。

この辺の方々は侘びた茶で有名だったんだけど、結局その侘びた茶の「おもしろさ」ってなんなのか、全然伝わってコネェ。

茶室も、道具も、料理も、ろくなものでない茶が、どうして有名になったのか?
客は何を楽しみに侘び茶人のもとへ参集したのか?

知りたい。