侘び茶の楽しみ

丿貫は、伝承からすると結構いろいろな趣向のお茶である。粟田口善法は手取り釜一つ。ただしこの釜は結果的に評判の釜となった。長闇堂と宗旦は良く判らない。勉強不足だな。"千利休の「わび」とはなにか"によると、利休はいっつも同じ道具だての茶事をやっていたっぽい。

結局、桃山時代を風靡した侘び茶人たちはどんなお茶をしたのだろう?
そして客はどう侘び茶を楽しんだのだろう。

…正直、よくわかんねーな。

ま、とりあえず、侘び茶を以下の様に定義する。

  1. 道具は決して高価なものでないが亭主の美意識を体現するもの。
  2. 道具組はワンパターンでよい、というか、いろんな道具とか高価な道具使ったら侘び茶じゃないでしょ。
  3. 季節感はせいぜい花で表現。軸や道具は頑張らないでよろしい。
  4. 懐石の内容はぜんぜん豪華ではない。
  5. 変わった趣向はあってもよいが、なくてもよい

この状況で、客は何を楽しめるだろうか?

「何回見てもいいわー、このお道具」

これはありえる。

「季節感、花しか無いのがいいわねー」
「懐石が簡単なのがいいね!」
「道具もシンプルイズビューティフル」
「お点前がすばらしい」

いや、そんなんで何回も客が来るとは思えんし。


実は、行きたくない結論が有る。苦手分野だから。

「ご亭主の人柄がいいわぁ」
「話がおもしろいよね」

…。


ところで昔の侘び茶人に必須の条件があるんじゃないかと思う事が有る。

常釜。

電話もメールもない世界で「アポ無しでも行ったら釜の湯が煮えている」これはすごく大事な気がする。

少なくとも鶴の吸い物、とかが出ない侘び茶人に不時の茶をしかけて、なーんもでなかったらがっかりすぎるからね。