インフレ

佐々木三味「茶の道五十年」より、大正時代の話。

道具も見るも買うも気安い時代、十万円出せば一売立て全部、トラックにして三台分くらいの品物がゴッソリ買えたのである。
当今ではチャチな楽焼一枚も買えないのである。品物が豊富だから茶会も催しやすかった。

三味さんは、最後は職業茶人になっているが、スタートは新聞記者。さほど金持ちにも思えないが、そんな人でも大正時代は道具が買いやすかったらしい。


明治の初期、旧体制側は没落し、大量の茶道具が安値で市場に流通した。明治の中期以降、茶道具の値段は上がったが、茶道具を換金する側も多かったので二級、三級の道具であれば市場に出回っていたのではないだろうか?


また、茶事をする方も、道具を売って、次の道具を買う、という「どうのつるぎ」を「てつのやり」に買い替えるような事をやっていた様だ。

市場に道具が多く、売り買いも頻繁ならば、道具屋も大きなマージンを乗せずとも食って行けたのだろう。


さて、現代。少なくとも私は道具の値段に呻き声しか挙げられない。


一級の品が、金持ちのものであるのは今も昔も変わらないと思う。金持ちが美術館に代わったかもしれないが。

しかし二級三級の道具の流通が乏しくなっているのではあるまいか?
市場から道具が無くなる事によりインフレが起きての道具高ではないか?

戦争の影響もあろう。

当時の富豪や道具持ちは、一万円級以上の品は疎開したであろう。が、一万円の道具を買える人は七、八千円の道具は多数に持っていたはずだ。
その多数の大半が全部焼失壊滅してしまったのである。
(略)
その影響が、戦後二十年にして顕著になり、「品物がない、品物がない」という道具屋の声となっている。

道具が品薄になるのに、戦後二十年かかった理由は思い付く。

茶道具が高額資産なのが認知され、茶人が死んでも遺族が死蔵する様になった、のではないか?

例えば古書は(ほとんどの場合)所有より情報に意味があるので、持ち主が死に、遺族に読む人がいなければ場所塞ぎなので売りに出される。しかし、茶道具は「いざと言う時に売れるだろ、とっとこ」と死蔵されているのではないか?
「使ってこそ」の道具が資産として一人歩きした事による弊害はないだろうか?


そして、頻繁に茶事がされなくなったことにより道具の買い替え需要が減り、道具屋は高いマージンを乗っけるようになった。

道具が高くなると、好きな道具組ができなくなって茶事が減る。悪循環である。

もっと困るのは昔の道具が高いので、現代物のそれなりの出来の茶道具もそれにひきずられて高値を維持していること。

結局、二級、三級の道具達も金持ちしか買えなくなった。
ふつーの人は稽古にしか使えない様な、あえて言うけど、「カスのような道具」しか買えなくなった。


茶道が点前の稽古に終るならそれでもいいかもしれないけど、私は茶事をしたい派。

  1. 安価な非茶道具の現代物をうまく取り入れる。
  2. そもそも、道具を茶道の中心に置かない。

月並だがそれぐらいしか対策を思い付かないな。

しかし、そういった茶が支持されるものか、正直自信が無いや。

は、待てよ?

「美意識的にはダメ道具でも、箱書きがあればオッケー」

こういう対処方法もあり、という事か?