織部の新旧
美術館で、イカすお道具を拝見していて、これは本当に400年も前の物?と違和感を感じる物が二つ有る。
一つは仁清。
400年前に、高度な技術でモダーンなものを作れた人間がいたというのは信じられない。しかもこの400年、誰も仁清を超える事ができていない。恐ろしく高い壁だ。
そしてもう一つは織部。
美術館で見る織部は、大抵古びておらず、昨日焼かれたものである、とか言われても信じてしまいそうだ。
ただ、文様の大胆さに関し、昨日今日で焼いた織部は桃山時代のそれに遠く及ばない。
模倣すればいいだけの筈なのに、模倣しきれない、とはなんとも不思議な話だ。
それは志野や唐津もおんなじか。時代の気分、みたいな話は認めたくないんだけど、でもそういう事みたい。
ところで、織部が新しく見える、というのは、織部は古びずにきれいなのが良い、という茶人の通念があって、それにしたがって持ち主はきれいに保っている、のだろうなと思う。
って事は、他の道具は、古びた方が良い、という通念のもと、古びさせているのだと思う。でも、なんとなく抵抗感がある。
古びるのはよし。古びさせるのはあしし。
そんな気分がある。区別はつけようがないんだけれども。