系図伝奇
戦前くらいまでの、千家の系図を整理してみた。
グレーの人は他家からの養子などで千家の血を引いていない人である。
夭折した人は除外されている場合が有る。
気付いたこと:
あと、楽の田中家から養子はもらってないんだね。ま、楽家もどっちかっていうと養子もらう側ですが。
千利休の血を引いている、という事が家元制維持に必要である、ということかどうかは良く判らない。四つの家にまたがる冗長化で安全保障しようとしている様だし、それ自体はなんとか成功している様に見える。
が、三千家において、血統主義はやっぱりうまく機能していない様に思える。
ケンネルクラブや日本中央競馬会じゃあるまいし、お茶は血筋でやるものではない。むしろ環境の方が大きいと思う。
それなのに、若くして流派を継がなければいけない人が多すぎるのだ。
きっちり教育を受けて家元になる、というのは相当幸運に恵まれた人だ。吸江斎が客である徳川治宝から台子の伝授してもらった、というのは私には全然いい話に思えない。
さて、その吸江斎。
久田皓々斎の息子さんである。しかも52才で死んだ皓々斎の、51才の時の息子。そのひと粒種を表千家に奪われてしまい、以後8代、9代と久田家は血縁のないとこから養子をもらうはめになっている。
ま、11年後に以心斎が生まれたので事無きを得たが、これも武者小路千家に持っていかれているし。
…あれ?
以心斎。
1830年生まれ。1819年におとーさんは死んでいる。
あれ?あれれ?
…木津宗詮が養育がんばってた以心斎。この盲目の家元のパパとママは、いったい誰なのさ?
「京の茶家」とか誰も突っ込み入れてないの何故?もしかして、なんかの公然の秘密って奴?