美濃の陶片

加納陽治著、荒川豊蔵監修/徳間/1973年。

説明不要、とばかりに並べられた陶片のモノクロ写真。

数えてみると最初の120ページに340の器と陶片の写真。

ここまで文章が一切無し。残り130ページくらいが発掘の経緯などである。後半は別に読まんでいいと思う。前半の写真達が何よりも雄弁だからだ。


志野。黄瀬戸と瀬戸黒、織部


志野は大胆にして稚拙。いや、稚拙ゆえに大胆というか。


黄瀬戸は志野より前の分、より稚拙だが、志野の絵付けと共通した技術を感じる。瀬戸黒は…モノクロだと判りにくいね。さすがに。


織部は大胆にして大胆。おおらかな絵付けに桃山の息吹を感じる。と同時に、時代を追って技巧が巧妙になって行くのも判る。


現代の志野や織部に、ここまで大胆な文様は期待できないのはなぜだろう?不思議で仕方が無い。ただ真似するだけでいいのに、それすらできないのだろうか?

それとも、現代の茶人は大胆な茶陶を買ってくれない、と陶芸家が思っているのだろうか

美濃の陶片―甦える志野 黄瀬戸 織部 (1973年)

美濃の陶片―甦える志野 黄瀬戸 織部 (1973年)